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薬を飲んでも痛風の痛みが5日間消えず、松葉杖で通勤

 

この記事は50代の男性に書いていただきました。

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 私が痛風に初めて出会ったのは、20年程前の36歳の時でした。

 当時、千葉県柏市から新宿まで1時間半かけて通勤していました。そして、同僚とは帰宅する前に毎日のように居酒屋に立ち寄るのが習慣になっていて、さらに仕事の付き合いでも夜遅くまで飲み歩き、終電ギリギリに帰宅するような事も頻繁にありました。たまには、終電に間に合わず新宿歌舞伎町のサウナに泊まることも。

 そんな生活のせいで、身長172センチ、体重75キロの体が一気に85キロに増え、完全に肥満体型へ変わってしまいました。

 そんな日々を過ごしていたある日の事です。翌日山梨県甲府市に出張しなければならないので、久々に自宅に早く帰り、たまには家族サービスと思い、近所の焼き肉店に外食する事にしました。子供たちの喜ぶ笑顔を見ながら、焼き肉をつまみに、生ビール3杯、酎ハイを2杯ほど飲み、帰ってからは風呂も入らず、そのまま明日が早いので床に就きました。

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通勤途中に痛風発作

 朝5時に起きて、柏駅まで歩いている時です。左足の親指あたりに違和感を感じました。かゆいような、しびれているような、今まで体験した事の無い感覚です。15分ほど歩き、柏駅から電車に乗っている間にそれまでの感覚から、チクチクと針で刺されるような軽い痛みに変わってきました。まだ、その時は我慢すれば足を引きずらなくても済む状態でした。

 山梨県甲府市では、イベントがあり、その主催者側の一員として参加です。午前中は準備作業を行いましたが、軽く足を引きずりながらも作業に支障が出るほどではありませんでした。

 昼食時の一息ついた時です。左足親指あたりの痛みが、針に刺される痛みから親指全体の強い痛みに変わり、まともには歩けない状態になってきました。そして、イベントが始まり来場客の案内は女子社員などが行っていますので、私は少し場所を離れて様子を見てました。

 しかし、痛みはドンドン増すばかりなので、一番後ろの席に座ってただ痛みに耐えていました。イベントの終盤頃になりますと、革靴をまともに履くことができないほどに腫れてきましたので、靴を脱いだままの状態で痛みに耐えました。イベントが終わる頃には、左足は痛みから床に着く事も出来なく、歩くことができなくなっていました。

 しばらくしますと、甲府の関連会社の社長が「これは、痛風だな。ようやく俺たちの仲間入りがよ。」と笑いながらも、自分が通っている医者へ連絡してもらい、救急で見てもらいました。

病院で治療

 医院に着くなり、問診が始まり、今日の朝からの症状や食生活などの質問を受けました。医師は「多分痛風でしょうが、念の為に採血してみましょう」ということになり調べてもらいますと尿酸値が大幅に上がっていることが分かりました。

 その後、小さな冊子をもらいましたが、そこには痛風に良い食べ物、良くない食べ物が書いてありました。ビール・魚の干物・レバー・あん肝などがプリン体を多く含むと書いてあります。毎日の様に、飲んだり食べたりしているものが原因でこの痛みを経験するなんてと愕然となっている私に、先生は更に「ちゃんと尿酸値を下げないと腎臓に負担をかけて、透析するようになる」と脅しをかけられました(笑)

 さらには「毎日2リットル程の水を飲みなさい」など痛風を予防するための方法を教えてくれましたが、私は足が痛くてそれどころではありません。私は「とにかくこの痛みを取ってくれ」と頼み込むと、痛み止めの薬と座薬をもらい、直ぐに服用しましたが、全く効果は無く、その日は痛みでまともに眠れませんでした。その痛みは、薬を飲んでも5日間続き松葉杖で会社に通っていました。

 その後の痛風との付き合いは「痛風は忘れたころにやって来る!」ではありませんが、油断していると現れるようになっています。医師からプリン体の多い食材リストをもらってからは、家庭での食事は妻が気を付けて野菜中心の食事メニューに変わりましたが、同僚といつものように飲み始めてしまいますと、以前と変わらず好きなものを食べてしまいます。

[参考記事]
「[痛風の合併症 痛風腎]痛風になると腎臓も悪くなる」

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