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中国人医師に痛風を捻挫と誤診されて3年

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この記事は50代の男性に書いていただきました。

………

痛風は前触れもなくやってきた

元々そういう体質だったのか、不摂生な食生活のせいなのか、今でもよく分かりません。
30代の頃に米国で生活したことがあり、「高カロリー、塩分・脂質・糖分過多の食事、運動不足の生活」が始まりだったのかもしれません。
身長は170cmですが、この間体重が60キロから70キロへと増えてしまったのです(参考記事「肥満になると痛風になりやすいの?」)。
「太ったみたいだね」
日本へ戻ってからよく友人に言われました。
「そうかなぁ」
自分が一番よく分かっていましたが、そんな言葉を返すしかありませんでした。

その後毎年受ける定期健診では、「尿酸値が高いです。食生活に気を付けましょう」という診断結果を受け取ることが恒例行事のようになりました。
尿酸値という聞きなれない言葉。
確か数値は7.0から8.0の間で高値安定だったと思います。
常に正常範囲から逸脱していました。
「そのままにしておくと痛風になります」そう指摘されても、「何々、風が吹いただけで痛いって?別にたいそうなことでもないだろう」と、気にも留めませんでした。

「そういえば志賀直哉は痛風のために城之崎温泉で長い間療養してたんじゃなかったっけ? 」と、誰かが言いだす「痛風」という言葉を聞くにつけ、学生時代のいい加減な記憶を思い出したりしていました。
そして、中々痛風も大正の文豪っぽくていいじゃないか、などと嘯いた(うそぶいた)のでした。
あの痛さが襲ってくるまでは。

尿酸値が高くなる理由もないし、ありえないと思っていたが….

若い頃から健康的にスポーツをしていたこともあり、「尿酸値なんか放っておいても、その内に正常な範囲に戻るさ」と嵩を括っていました。
時には「痛風ってグルメの病気だよね」とか揶揄(からか)われると、得意になりながら、「全然、グレメでもないんですがねぇ」と応えたものでした。
実際のところ、ビールはよく飲みましたが、プリン体の含有量が高いと言われる内臓モノや干物を好んでいたわけではありません(参考記事「痛風とアルコールの関係」)。

その後、尿酸値のレベルは改善の余地を見ないまま、中国東北地方へと海外転勤になりました。
中国の就労ビザの取得には、エイズの検査はあっても、尿酸値のチェックはありません。
そんなこんなで痛風のことはすっかり忘れてしまいました。
単身赴任のホテル住まいです。
仕事を終えて部屋に戻ると、やることがない。
まあ、お酒を飲むわけです。
時にはバーで、或いは部屋で友人と。
さらには飲み会やら、会社の同僚や顧客との食事会も多い。
ワインにビールにウイスキーに、果ては中国特有の白酒(度数が高い)にと、ありとあらゆるお酒を毎晩のように煽りました(参考記事「中国式のお酒のマナー。乾杯した後は56度のお酒を一気飲み?」)。
そして中華の珍味を食べる。

骨に異常なし

さて、そんなある秋の日の早朝。
それは突然のことでした。
左足内側の踝(くるぶし)の下あたりにひどい痛みがあり目覚めました。
「やっちまったかな」そんな独り言を発しながら、会社に電話を入れました。
「昨晩足首を捻ったみたいなので、ちょっと医者に連れて行ってくれ」
そう頼んだのです。
捻挫したと思ったのです。
実は運動不足を少しでも解消するために、毎晩部屋で筋トレをしていたのですが、気づかぬうちに足を捻ったらしい(と思った)。
そんな激しい運動はしていないはずなのに…..。

車で連れていかれたのは当然、整形外科(中国では骨科といいます)。
レントゲンを撮り、骨をチェックしましたが、結果は特に異常なし。
無責任にも「全然、大丈夫だ」と年老いた中国人医者に言われました。
湿布薬と消炎の錠剤をもらい、松葉杖を借りると、足を引きずりながらホテルの部屋に戻りました。
暫くじっとしている他ありませんでした。
かくしてその日は激しい痛みと腫れに悶絶する一夜を過ごす羽目となったのです。

それは始まりに過ぎなかった

すぐに良くなるだろうと思っていたのに、腫れたままの足首は湿布薬の厚みも手伝って肥大化し、症状は悪化するばかりでした。
風が吹いても痛い、とは感じませんでしたが、ベッドで寝ていても毛布が掛けられない。
毛布の端が軽く当たるだけでも痛いのです。
寝返りも打てない。
一体どうしてしまったのか。
全く見当もつきませんでした。
それから数日、仕事を休みましたが、いつまでも休んでいるわけにはいきません。
松葉杖をつきながらの通勤が始まりました。

それでも2、3週間すると、次第に腫れが引き、痛みも薄れてきました。
そんな時、日本人会のゴルフコンペの案内が届いたのです。
運動不足解消にはもってこい。
しかも久しぶりに旨い日本食が食べられる。
そんなことしか頭に浮かびませんでした。
「大丈夫さ。」
そう自分に言い聞かせました。
いや、本当にそう思っていました。
それから1週間後、飛行機に跳び乗って北京に向いました。
ところが、コンペの当日。
早朝に、また痛みがぶり返したのです。
このタイミングですか?
しかし恨んでも仕方ありません。
やむなく幹事さんに電話して、当日のキャンセルを詫び、急きょ現地の病院へと直行したのです。
そしてまたレントゲン。
そしてまた中国人医師から「骨には異常なし」との不可解な判定。
何がどう悪いのか。
まあそのうち治るだろう。
そう思うだけで当面の痛さの原因は分からずじまいでした。

喉元過ぎれば…

それからまた数週間、松葉杖のお世話になりながら、騙し騙し1ヶ月ほど過ごすこととなりました。
するとどういう訳かしつこかった腫れも徐々に収まり、捻挫(捻挫だとこの時は思っていた)の痛みも引いていったのです。
ふう、やっと落ち着いたか。
当然だというふうにそう呟きました。
喉元過ぎれば熱さ忘れると良く言ったものです。

結局は原因不明のまま、中国駐在は無事終了することとなり、最後はあちこち観光旅行し十二分に中国を満喫した揚句に、悠々と日本へと戻ったのです。
その後、再び始まった忙しい都会の生活に流されるように、あの足首の痛みやら不自由な松葉杖の生活やら、そんなことがあったことすらさえもいつの間にか忘れてしまいました。
あれは一体何だったのか、それをようやく知るのは、それから3年後のことでした。

[参考記事]
「あなた痛風で死にたいの?という医師の言葉で生活を改善」

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