この記事は30代の男性に書いていただきました。
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私が痛風発作を初めて起こしたのは29歳の時です。仕事の関係でしばらく奄美大島に滞在することになり、海の近くの集落に住むことになりました。
島の集落の人間関係は血縁関係なく、みなさんが家族のような距離感なので、ことあるごとに飲み会や宴会があります。私はお酒を全く受け付けない体質に生まれついてしまった為、ビールを一口でも飲むと顔が真っ赤になってしまいます。ジョッキ一杯を飲み干した暁には体中に赤い斑点がブツブツと現れてきます。アルコールアレルギーなのです。
そのせいで普段はほとんどお酒を飲みません。そんな私でも集落に住むからにはある程度集会に顔を出して挨拶などをしなくてはなりません。月に何度か草刈や掃除を行う為、顔を覚えてもらう必要があるからです。
それから私の酒浸りの日々が始まりました。奄美大島ではお酒を神聖な飲み物としていて、お酒を飲むことで体を浄化させるといった考え方があるそうです。ですので勧められたお酒はなんとなく空気的に断ることが出来ませんでした。酒盛りは毎回夜中まで続き、私は吐いて吐いて吐きまくる日々です・・・。
さらに海が近く魚がたくさん釣れるので、釣りが大好きな私は暇があれば海に行っていました。釣れる魚は様々ですが、特にクロダイが良く釣れます。もちろん釣ったからには持って帰って食べたくなるので、集落の方にさばいてもらい、天然の海鮮丼を作っていただきました。これが超絶なる絶品で、過去に食べたことのない次元のおいしさでした。おいしさのあまり涙が出てしまった程です。
それからさばき方を教えて頂き、釣るたびに魚を食べまくっていました。余った魚は無駄なく全て鍋に入れてあら汁にし、言葉通り海鮮尽くしの毎日でした。
※タイのプリン体は100g当たり120mgくらいなので、そんなに多いわけではありません。魚のプリン体は総じて多くはありませんが、カツオとマイワシは100g当たりのプリン体は200mgを超えるので多いです。
※貝ではカキのプリン体が多いです。100g当たりのプリン体は約185mgです。
・そして悪夢が・・・
異変が起き始めたのはこんな生活を続けて三週間ほど経過してからでしょうか。足の裏、右足の母指球に違和感を持ち始めたのです。初めは筋肉痛のような痛みでした。筋肉痛かな?と思いましたが、それより足の裏って筋肉痛になるのか?と疑い、どっかにぶつけたんだろうと楽観視していました。
そしてある日の朝、その瞬間は訪れました。強烈な痛みと共に私は飛び起き、痛い痛い痛い!と叫びながらのたうち回りました。釘をトンカチでぶち込まれたような鋭く重みのある痛みです。
急いで友人に電話をかけ、足が痛くて死にそうだと伝えると、彼は落ち着いて「あぁそれ痛風だよ」と言いました。やはりみなさん酒好きなので経験者の方が何名かいたのです。
「近くに医者がいるから行っといで」と言われたので車に乗り込みましたが、右足が痛すぎてアクセルを踏めません。幸い車の通りが少なく距離も近くだったので、右足の側面を使ってギャーギャー言いながらなんとか病院に辿り着きました。
診断結果
案の定痛風でした。20代で痛風は珍しいねとお医者様も驚いていました。
元々お酒を飲まないのに急に多量のアルコールを摂取し続けたこと、魚介類を食べ過ぎていたことなどが原因だったようです。また魚のあら汁は頭から何から全て入れるので、凝縮したプリン体のようなものです(プリン体は水に溶けやすい)。
発作は癖になったり繰り返すことがあるからできるだけ酒やプリン体の多い食品を我慢するように忠告されました。血液検査の結果は1週間しないと出ないので、尿酸値を下げる薬は出せないとのことでした。とりあえず痛み止めをもらい、水分を一日2ℓ以上摂取して安静にする処置法を試すことにしました。
近所のおじさんに痛風になったと伝えると、座薬が効くとのことで余っていたものをいくつか分けて頂きました。初めて座薬を入れると、次の日にはかなり痛みが引いていたのを覚えています。
それからは野菜だけ食べることにし、水分をとにかく摂り続け、1週間程でなんとか歩きだせるようになりました。私の場合すぐ痛みも引いたので特に尿酸値を下げる薬などは飲まなかったです。
食べ物にもできるだけ気を使い、野菜多めの食生活です。またアルコールアレルギーなのにお酒を飲むのは痛風だけではなく、健康にも良くないのでお酒は完全に止めてます。魚介類はプリン体の多い種類だけを避けて食べるようにしています。
2年経った今となってはいい思い出ですが、二度と経験したくない痛みです。
[参考記事]
「痛風とアルコールの関係」
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