この記事は50代後半の男性に書いていただきました。
……….
・痛風の発症は当然に
私が痛風の発作を初めて経験したのは、30歳の誕生日の翌日でした。
前日夜に誕生祝いでビールと特大ステーキを食べた翌朝、左足首が腫れてとんでもない激痛に襲われ目が覚めました。家内が寝ぼけて私の足首を踏んで骨折したのではないか?と疑うほどの痛みでした。見ると足首は既に紫色に腫れています。
どうしても外せない仕事があり、激痛で革靴を履くのはあきらめ、サンダルを履いてガムテープで固定し傘を杖代わりに出勤しました。以来、約30年間、痛風とつきあうことになるとは夢にも思いませんでした。
出勤すると健康管理医から電話がありました。
「尿酸値が非常に高かったので痛風に気をつけて下さい。ビールは控えて下さいね。」
健康診断の結果からの忠告の電話でした。先生遅かった・・既に発作が来ています。そこではじめて私は痛風であることを自覚することになりました。
・家族にも負担
痛風患者手帳をもらい、飲食に気をつけること、体重管理をすること、カロリー管理をすることを教えていただき家族にも伝えました。
真面目な家内はそれを見て毎日食事に気を使ってくれましたが、カロリーや食材に気を使うことに慣れておらず、子供も小さかったので、かなりのストレスだったようです。
それでも激痛で苦しむ私を見ていたので随分と頑張ってくれました。その姿を見て私も今までの暴飲暴食を改める気持ちになりしばらくは、発作も起きることはありませんでした。
・飲食カロリーのみでは限界???
しかし仕事も忙しく毎日深夜までの残業が続いた時に2度目の発作に襲われました。今度は右足の足首でした。
「あんなに気をつけていたのに・・」悲しむ家内。
医師に相談すると、どうも痛風発作の原因は過労によるストレスとのこと。食事療法には限界があることを教えていただき投薬治療を始めることになりました。投薬を始めてすぐに尿酸値も下がってきたので食事療法は気をつける程度にして家内の負担も少し減ることとなりました。
[参考記事]
「痛風はストレスがあるとなりやすいの?」
・投薬による副作用??
投薬を始めて5年程度は発作も収まっていたのですが、ある日突然、全身に蕁麻疹が出ました。医師の診断は痛風治療薬の副作用とのこと。投薬をいったん中止することになりました。副作用のみではなく、この時に痛風治療薬によって命を落とす可能性もあることを教えていただきました。
単身赴任中でしたので、とにかくお酒を控え、脂質の多い食べ物、適度な運動を心がけることとしました。体重は3か月で5キロほどおとすことに成功しました。その甲斐があったのか投薬を中止しても尿酸値が上がることはありませんでした。
・またも発作・・・
すっかり痛風発作の恐怖も遠のいたと思っていた、その1年後。今度は膝に激痛を感じました。いままでは足首の発作だけでしたので、痛風の発作とは思わず自転車通勤による膝関節の痛みと思いこみ整形外科にかかりました。
しかし診断は痛風発作。やはり食事療法には限界があったのでしょう、私の油断もあったと思います。この当時も単身赴任中でしたので、飲酒を止め食事も野菜スープ中心のものに切り替えました。
整形外科からは副作用の少ない新薬が出ているとのことで、その新薬を投薬することとしました。今でもその薬を飲み続けていますが、幸い副作用は出ていません。
・痛風の完治は無理?一生付き合う?
その後も小さな発作が出ることはありましたが、患部が腫れ上がるような痛みには襲われていません。今では薬が頼りの状態ですが、なんとか痛風とうまく付き合っているかな?と思える状態になっています。
ビールを飲まない、白子やレバーを食べない等は徹底して実施していますが、医師からはあまり神経質に食べ物に気を使うとかえってそのストレスが良くないと言われ、お酒はワイン(唯一お酒で痛風に影響が無いと言われています。)とウィスキーを少々飲んでいます。食べ物は基本家族と同じ物ですが白子やレバー等は少量にして、暮らしています。
・遺伝の問題も
そんなある日、入院中の父を見舞うと父に処方された薬の中に私が投薬されているのと同じ痛風の薬を発見しました。父に聞くと40代から痛風治療薬を飲んでいたとのこと。どうも私の痛風は父からの遺伝もあったようです。近親者に痛風患者のいる方は、お気をつけ下さい。
発作は信じられない苦しみをともないます、中高年に限らず若いうちから暴飲暴食に気をつけ、健康診断の尿酸値の推移には気を配っておくことをお勧めします。
以上が私の痛風体験記です。
[参考記事]
「痛風は遺伝するの?」
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