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痛風歴15年。最初の痛風発作が一番痛かった。合併症の恐怖も迫る

この記事は40代の男性に書いていただきました。

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 痛風歴15年の48歳です。初めて痛風発作に襲われたのは、33歳の時。私が社会人になったのはバブル直後、社内はまだまだその雰囲気が残っていた頃でした。

 配属先も酒好き揃いで、飲みニケーションと称し、週に最低2回は飲みに行ってました。残業も多かったのですが、20時を過ぎた頃に上司がそわそわしだして「それ今日じゃなくても大丈夫だよなぁ」とか言い始めた時は、今日は残業切り上げて飲み行くぞ!の合図。

 必ずはしご酒となり、最後は行きつけのスナックでカラオケ。週末や何かの打ち上げ的な時は終電も気にせず深夜まで、さらに〆のラーメン屋で餃子つまに更にビール、もちろんラーメンも食べて・・・と言うような生活がずっと続いてました。

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●当時の尿酸値は9.3

 痛風を発症する数年前から健康診断で尿酸値が7を超えて要注意となっていました。その後8を超え、検診フォローでも病院行きなさいと促されていたのですが、自覚症状もなく多忙なこともあり3年ほどそのまま放置していました。

 そして、その年の健康診断ではついに尿酸値が9.3に。検診フォローでも「いつ痛風になってもおかしくない状態」と警告されていたのですが・・・。

●最初はなんとなく痛いかな?程度から

 デタラメな生活を続けていたこともあり、BMI(体格指数)で痩せ型だったのが標準値を超えやや太り気味に。具体的には、10年で10kgちょっとの体重増加。

 平日は残業や飲み会で遅い帰宅、休日はどうしても家でゴロゴロ。なので運動不足を実感し、出張時などは昼休憩時に周辺を散歩したりしてました。その日も海岸近くの客先でしたので、昼食をさっと済ませ海岸へ散歩に行きました。

 途中、左足親指付け根付近になんとなく違和感を感じたのですが、30分程度散歩してから戻りました。午後の作業で階段の上り下りが何回かあり、散歩中の違和感が少しずつ「痛いかな?」という感じに変わっていきました。

●痛みの上昇カーブ

 痛風発症の日は飲みに行く約束があり、1軒目はどこにしようとか、そんな事を考えていました。ところが、仕事も終わりに近づいた夕方には、左足の親指側に体重をかけると強い痛みを感じるようになっていました。

 でもその時に考えたのは「昼の散歩で歩き過ぎたかな?」という呑気なもの。内心では「もしや!痛風?」と感じていましたが、一生懸命否定しようとしていました。

 最寄り駅まで15分程の道のりを歩いている間、靴の中で左足がどんどん膨らんでいるような感じと、それに伴って痛みもどんどん増しているのを感じていました。駅に着いた頃には左足を少し引きずるようにして歩かなければならない程。しかも、電車を待つ間ベンチに座ってじっとしていてもジンジンした痛みを感じるようになっていました。

 飲み会のお店はそこから電車で30分位でしたが、痛みも靴の中の足の膨張も増すばかり。やむなく友人に飲み会キャンセルの連絡をしなければならない程に急速に悪化していきました。

●3日ほど続く激痛

 最寄駅から自宅へは徒歩15分程でしたが、一歩一歩が激痛との戦い状態で、タクシーでなんとか帰宅。玄関を入り、靴を脱ぐ時、思わず叫んでしまう程の激痛でした。

 痛風については一応情報収集だけはしてましたが、その時は痛み止めも湿布も準備などしておらず、明らかに痛風だと自覚しつつも、激しさを増して行く痛みにもう何もできませんでした。

 足も赤黒く恐ろしい程腫れ、1.5倍位になったのでは、と思う程巨大化。痛みの質は、ズキズキというよりはジンジンという感じで、「正座で足が痺れ過ぎた時の痛みを無限大に強くした感じ」というのでしょうか、じっとしてても痛い、動いたらもっと痛い!まさに風が吹いても痛いというもの。

 日付が変わる頃には激痛も頂点に達し、じっとベッドで横になりつつ、動かなくても呻き声が出てしまう程の激しいものに。幸いにも寝室の前がトイレでしたが、この2m程の移動がまた辛いのです。もやは左足を地面につけることはできず、四つん這いで足を浮かせたまま前進。それでもちょっと動くだけでさらに増す痛みのために連続で進めず、トイレへの移動は数分かかる始末。トイレ内でも足がつけないので悪戦苦闘でした。

 もちろんそんな状態なので、まともに眠ることもできず、少し眠りかけては痛みで目が覚めるという、意識が朦朧とした状態が3日程続きました。

●完全に痛みがなくなるまでは遠い道のり

 病院へも行かずひたすら痛みに耐えていたのは、痛風発作の激痛は2、3日で治るという事前に調べていた情報が頼りでした。実際、3日程すると痛みは急速に引いて行きました。なんとか足をついても耐えられる程度の痛みになり、4日ぶりにシャワーも浴びて、食事する余裕もできました。

 とは言え、まだじっとしてても痛みはあり、足を着くと激痛な状態であることには変わりありません。随分腫れも引いたが、それでもまだ1.2倍位はある?という状態でした。

 その後更に3日程で足を引きずりつつもなんとか歩ける位まで回復し、やわらかい合皮の紐靴の紐をゆるゆるにすればなんとか履けるようになり、土日を挟んで一週間後にはなんとか仕事にも復帰しました。

 ただ、体重をかけると痛みが走る状態はその後一ヶ月程続き、ほとんど痛みが気にならなくなるまでには更に一ヶ月程を要しました。

●喉元過ぎれば・・・

 そんなこんなで、最初の痛風発作で大変な思いをしたにも関わらず、今こうして痛風歴15年目いってます(笑)初発作から翌年、翌々年は、ほぼ同じ時期にまた痛風発作を発症しましたが、その後は不定期に発作を繰り返していました。

 景気の悪化や、異動により職場の人たちも変わり、以前ほどに飲みに行かなくなったとは言え、それでも週1回は飲みに行ってました。

 病院へ行くこともなく、家には痛み止め(当時は市販薬のEVE。今はもちろんロキソニン!)と湿布を常備し、徴候があったら早めの服薬と湿布を貼って安静にすることで、最初の発作ほどに激症化することなく数年やり過ごしていました。40代になった頃には左足親指付け根には痛風結節ができており、発作頻度も年に数回と、まさに慢性状態にでした。

 反対側の右足にも痛風発作が何度かありましたが、歩けない程の激痛まで至ることもなかったので、病院嫌いと忙しさにかまけて放置していたのです。

●やがて尿管結石や最悪腎不全で透析が必要に

 思えば一番激しく痛みを感じたのは最初の痛風発作の時であり、その後は”うまく痛風と付き合えている”などと独りよがりな思いで過ごしていたのですが、40代になると血圧も徐々に高くなり、健康診断の結果に対する会社側のフォローも厳しくなっていたことから、ついに病院送りとなりました。

 高血圧での受診でしたが、尿酸値も8前後と高い状態が続いていたので、こちらも治療の対象となりました。痛風発作から10年、高い尿酸値の状態が続いていたこともあり、医者からは痛風の合併症について色々脅されました。

 まずは、尿路結石リスクが高い状態であること。私と同様の生活を送っていた同僚に尿路結石で苦しんだ人が3人もいて、救急車を呼んだ程苦しんだ話なども聞いていました。痛風発作と痛みの質は違うようですが、もしかしたら痛風より苦しい痛みなのかもしれません。なにしろ痛みで嘔吐するくらいらしいので。

 仲間内で痛風と尿路結石体質があるんだね、などと呑気な話をしていましたが、両方罹患することは珍しくないとのこと。

 そして、高い尿酸値は腎臓に負担をかけている状態です。そして高血圧も腎臓への負担が高く、気付いた時には腎不全、という最悪の結果もあり得ると医師には言われました。もちろん腎不全になれば透析が必要となり、完治には腎移植以外にない。

薬は一生飲まなければならない訳ではないが、生活改善は必須

 結局、降圧剤の他に尿酸の排出を促す薬を服用することに。尿酸値を下げる薬には、体内で尿酸が生成されるのを抑えるタイプと尿酸の排出を促すタイプの2種類があり、私のように飲酒、そして食生活においてもプリン体の摂取が多い人は、尿酸排出を促すタイプのユリノームという薬がいいとのこと。

 その後、毎年の健康診断で尿酸値は7前後と、正常値に近い値が続いてますが、まだ年に1、2回小さな痛風発作が起こります。医師によれば、体内に蓄積され結晶化した尿酸の排出には時間がかかり、血中の尿酸が正常値になっていても痛風発作の発症リスクはなかなか下がらないとのこと。

 ただし生活習慣を改め、尿酸値が正常な状態が数年続いた後、減薬しても尿酸値が上がらないようになれば薬を飲まなくても大丈夫な場合もあるらしい。もっとも、痛風を何年も放置してたような人がそうそう生活習慣を正反対に変えることはなく、服薬を続けながらそれ以上悪化しないようにしていくのが精一杯。加齢とともに他の病気や症状に見舞われ、断酒や食事制限を余儀なくされる人の方が圧倒的に多いらしいです。

 酒飲みにとって仲間との宴席は何事にも代えがたい楽しみです。だから尚の事、その楽しみを続けるためには節制も必要だと頭では分かっていても、ついつい飲み過ぎてしまうのが酒飲み。年齢的にも、こんな生活をそろそろ改めないといけないと自分に言い聞かせつつ、また飲みに行ってしまう今日この頃です。

[参考記事]
「痛風の合併症である腎臓病になりました。アルコールを減らしたが….」

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