この記事は60代の男性に書いていただきました。
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突然襲った痛み
20年前、48歳で痛風発作に苦しみました。1988年の5月のある金曜日です。
勤務を終え、連休前の楽しみで会社仲間と麻雀卓を囲んで帰宅し、普通に床に着き、目が覚めた翌朝でした。ベッドから出ようと、足を下した瞬間、左足にズキーンと痛みが走りました。
「あれ?どうしたかな?」と思い、「どこかにぶつけたかなあ?」と考えてみましたが、思い当たることはありません。さいわい、その日、土曜日には特に予定はなく、家でじっとしていました。
翌日、日曜日になっても左足の痛みは引きませんでしたが、「そのうち良くなるだろう。」と思い、右足は何ともなかったので、オートマチックの車を運転して、息子を塾へ送り届け、また迎えにも行きました。
月曜日には痛みが増加
月曜日になり、出勤しようと思いましたが、痛みはますます酷くなり、革靴も履けず、足を運ぶ度に左足に激痛が走り、まともに歩けません。会社には休暇を申請し、病院に行くことにしました。
この段階では「痛風」という意識はなく、知らぬ間にどこかで打撲したのだろうと、妻に車で送って貰って、隣の町の整形外科医を尋ねました。
すぐにレントゲン撮影しましたが、骨に異常はなく、その時医師から「痛風ではないかと思うので、血液検査をします。結果は明日判るので、明日、再度来院してください。念のため湿布薬を出しておきます」と言われ、湿布薬を持って帰宅しました。
火曜日の診断結果
翌日も痛みがあり、通院もあるので会社は休みました。病院に行くと、検査の結果が出ていたのですが、尿酸値が高く、「痛風」と判断されました。この日は尿酸値を下げる薬を処方されました。明日からは何とか会社に行こうと思い、薬を飲んで、家で安静にしていました。
水曜日からの出勤
さて、水曜日の朝ですが、まだ左足の痛みは治まらず、ゆっくり、ゆっくり、1歩ずつしか歩けません。最寄りの駅までは、妻に車で送って貰いました。
しかし、会社の最寄り駅から会社まではそこそこ距離があり、痛む足ではとても歩けそうもありません。また、この駅の出口にはタクシー乗り場もないので、タクシーのある2つ前の駅で降りて、タクシーで会社まで行きました。仕事は管理部門の課長職でしたから、問題なくこなすことが出来ました。
帰りは、朝の反対の経路で、会社前のタクシー乗り場から乗車し、降車駅では妻に迎えに来て貰いました。その週は、このような通勤手段で、3日間の勤務を終えました。
翌週からは通常通勤に
さいわい、土日を挟んで、薬が効いてきたのか痛みも緩和し、よく月曜日からは通常の通勤に復帰出来ました。
その後、数年間の生活
実は、痛風発作が出る前の時期、数年前から毎年の健康診断で尿酸値が8.0mg/dl 台になっていました。自覚症状が無かったので軽視していたことになります。
痛風発作後に、尿酸値を上げると言われるプリン体の多い食べ物・飲み物があることを知り、まず、飲酒の際のビールを控えることにしました。痛風に悪いと言われるレバーなどはあまり食べませんので気になりませんでしたが、好物である、イカ・エビなどが良くないと知り、落胆しましたが、仕方ありません。
100g当たりのプリン体
スルメイカ 186.8mg
大正エビ 273.2mg
200mgを超えるとプリン体は多いと判断
それまで、職場の同僚たちと焼き肉店に行き、ビール大ジョッキを飲み、ロース・カルビのほか、イカ焼きやホルモンなどをガッツリ食べることも多かったのですが、これ以降焼き肉店に行くのは止めました。
こうしたことに気を付け始めたことと、それ以上に投薬の効果なのでしょうが、翌年からの健康診断では、尿酸値の数字が4.0mg/dl 台まで下がりました。
それから今に至るまで
前記のように正常な数値となり、安心して暮らしていましたが、2000年4月以降、人事異動により丸4年間の単身赴任生活が始まりました。
同年代の単身赴任者も多く、終業後の時間を共に飲食することが多くなり、外食では、食事制限もし難くなり、気が付くと尿酸値の数字が7.0mg/dl 台に上がっていました。
ですが、幸いにも痛風の発作は出ず、4年が過ぎて、自宅に戻ると、食事の注意も行き届いたため、尿酸値は正常値に戻りました。
最近は、加齢のため尿酸の排出機能が衰えたのか、数値は6.0台と7.0台を行ったり来たりしています。
ということで、痛風の発作・痛みは一度だけで済んでおり、今後も、気を付けるべき食べ物・飲み物は意識していますので、あの痛みは2度と味あわないで暮らして行けそうです。